リオ最大のファヴェーラでショウ開催

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 10日ほど前のニュースになりますが、9月30日、マリーザがリオ市北部の、数あるファヴェーラスの中でも麻薬密売の巣窟としては最大級で治安的見地でも特に危険で有名な「Complexo do Alemão」において、なんとUniverso Particularのショウを開催しました。
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 これはブラジルのファヴェーラスを拠点とした諸問題を音楽の影響力で緩和させようという意図で動いている文化団体「Conexões Urbanas」というイベントへの参加で、マリーザだけでなくAfroreggaeやFank系の地元で支持されているグループもいくつか参加。
 そしてピンクに黒い刺繍のついた衣装を纏ったマリーザが9名のミュージシャンを率いて登場、「今晩あなたたちに私の歌を聞いてもらえてとても光栄です」という一言を皮切りにブラジル国内及び世界で披露したのとほぼ同じプログラムをこなし、約2000名の聴衆がほとんど生で聞くことも無かったマリーザの生の声に酔いしれたそうです。
意外なのはこのイベントのオーガナイザーの発言。
「こういう場所に暮らす人達は皆アフロへギやファンキばっかり聞いてて、マリーザ・モンチのようなソフィスティケートされたミュージシャンのことはあんまり知らない。だから今日はマリーザという普段とは別ジャンルのブラジル文化を知る良い機会になる」
 なるほど・・・ TVのインタビューでは「マリーザのCDは全部持ってるわ!」という女の子もいましたが、ファべーラスの中では少数派ということかもしれません。マリーザはもうブラジル全土老若男女全てにその名を轟かせていると思っていたので、これはちょっと意外な事実です。
 ちなみにショウのナンバーの中で「Universo ao meu redor」を歌う時、マリーザはこのように歌詞を変えて聴衆に彼女の好意をアピールしたそうです。
"Eu já não me sinto só / Tão só, tão só / Com o Complexo ao meu redor". 「もう寂しくない、私の周りにコンプレクソ(ド・アレマウ)があるから」。
 これでそれまでマリーザを良く知らなかったコンプレクソの人達の心も鷲づかみ。

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このコンサートの様子は来年発売を予定しているUniverso ParticularのDVDの中に収録されるそうです。確かにUniversoという果てしないテーマとコンセプトの中には含まれてしかりのブラジルでのワンシーンかもしれません。

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# by marisamontejp | 2007-10-10 06:22 | Novidades

マリーザのファッションセンス考察 その①

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 先月発売されたVanity Fair誌のブラジル特集で、こんな写真が載っておりました。
 撮影はカメラ界の大御所、Mario Testino.
バリバリのメークでマリーザが身にまとっているのはEmilio Pucciの今シーズンの服。
椅子にはBebel Gilbertoも座っています。
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 マリーザは本来メジャーなブランドなどに特別な興味を持っておらず、どちらかといえば何年も前から度々同じ服でインタビュー撮影されていたり、お気に入りの服があればとことん着続けるという、表面的な流行には流されない性質。服とアクセサリーやバックの組み合わせも、他の人にはマネできない「マリーザ流」のスタイルが定着しています。
 なので、このPucciのゴージャスドレスには一瞬「え?」と目を見張ってしまいました。
自己主張の強いブランドプロダクトの服はやはりマリーザの持っているナチュラルさと不調和音を醸してしまうということでしょうか。
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 いろんな写真を見ておりますと、自分が選んだ服と、そうでない服の差がはっきりと分かってしまいます。
 175センチの長身で長い手足の彼女はブランド物もそれなりに着こなしてしまうのでしょうけれど、私的にはやはり彼女の感性で自分用に見繕ったコーディネートがマリーザらしくてやはりいいなあ、と思ってしまいます。
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 ここに彼女がデビューして間もないころに雑誌に掲載された、彼女のファッション感に関するインタビューがあるので載せておきます。

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上から順に:

あなた流のスタイルとは?
M:個性的なもの。人にマネされないような。
靴は?
M:いつもかかとの太いものを穿きます。
スタイリストはいますか?
M:いません。自分で着る服は選びます。外に買いに行くのも私自信です。
好きな色は?
M:ボルドー色。
好きなデザイナーは?
M:Rita Martinho,Marcel Olinbo
メークについては?
M:口紅は赤、ステージで使うファンデーションはマックスファクター
家での服装は?
M:シャツにコットンのパンツです。
ブラウスにスカート、ストッキング。色は白、黒、グレー、またはボルドー系です。
ステージでの衣装については?
M:シルエットが長く見えるもの。途中でラインが切れないもの。
ファッションに対する姿勢は?
M:人に対して中を注ぐこと。
あなたのファッションリーダーは?
M:母です。
ファッションで許せないものは?
M:無作法なもの
あなたが男性でエレガントだと思うのは誰?
M:パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(サンバ歌手)
あなたが女性でエレガントだと思うのは誰?
M:フェルナンダ・ジ・モンテネグロ(女優)
逆にファッションセンスが悪いと思う人は?
M:そんなこと言えません
あなたにとってエレガントであるということは・・・・?
M:その人に適応した雰囲気が醸せていること、その人自信
その逆は?
M:自分の心を聞かず、自分の個性を失うこと

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以上、マリーザが20歳前後の時の意見です。
今もたぶんほとんど彼女の中ではファッションに対するコンセプト、代わっていないのではないでしょうか。

By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-09-22 21:56 | Marisa

マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その⑤
デビューアルバム「MM」そしてドラマ挿入曲

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 ジャズマニアで成功を収めたマリーザのコンサートから一年が経った頃、ブラジルのTV局Mancheteから巷で噂のマリーザのコンサート映像が欲しいという要請を受けて、マリーザ歌手デビューの発起人ともいえるLula とNelson mottaは当時若手では屈指の才能を持つ映画監督、Waltaer Salles(代表作はベルリン映画祭で銀の熊賞を受賞したセントラル・ステーション、モーターサイクルダイアリーなど。マリーザはワルターとは個人的には知り合ってはいないそうです)に撮影を依頼します。
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 ネルソン達は映像を作ってもらう上でのテレビ局からの条件、「映画の様な映像にして欲しい」を考慮し、当時からその突出した才能で注目を集めていたWalterを監督に起用することにしたようです。同時にその音声録音の方をマリーザのデビューアルバムにしようと思い立ったネルソンはレコード会社Emi-Odeonに録音を委託します。
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「当時の私は産業的なビジョンは持っておらず、諸々のやりくりはネルソンが請け負っていました」
マリーザはこのコンサート映像収録並びに録音については金銭的な利益などはまったく要求しなかったそうです。
 それから間もなく映像収録と録音は無事に終了し、録音がリタッチされてアルバム「MM」が完成したのでした。
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 ネルソンはこのマリーザの異色のライブ版デビューアルバム「MM」の宣伝も兼ねるつもりで、ブラジルでは音楽を売る最もメジャーな手段のひとつであるソープオペラの挿入歌としてマリーザの歌を使ってもらおうと、ブラジル最大のテレビ局であるGloboのMariozinho Rocha氏に依頼します。
 ネルソンが提供した曲はイタリアの人気歌手Pino Danieleの歌「E po che fá」をポルトガル語歌詞に変えた「Bem que se quis」でした。   
こちらでPino Danieleのオリジナルが視聴できます

 そしてその頃女優のLucia Verissimoが、当時自らが出演することになっていたGlobo放送のソープオペラの自分の配役に適した歌を探しており、歌手のMarina Limaに曲を提供してもらうよう依頼していました。しかしその時マリーナの手元にはそのルシアの依頼にふさわしい曲が無く、自分の代わりにネルソンとマリーザに請け負ってもらうように頼みます。
 そしてマリーザの歌う「Bem qui se quis」が当時夜8時からの放送だったGloboのソープオペラ、「O salvador da Pátria」の挿入曲として流れることになったのでした。それはマリーザのデビューアルバム「MM」がブラジル内のレコード店に置かれる一ヶ月前の事です。
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By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-09-21 04:52 | Biografia de Marisa

マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その④
帰国後のマリーザ

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 イタリアから具体的な将来への方向性を抱いて帰国したマリーザは、ネルソン・モッタという強力なバックアップと、リヴィアとれティシアの二人姉妹の協力も得ながらリオにおける様々な大きさのステージでのライヴ活動を起動させ始めたわけですが、そんな中でも特に変わったものといえば石油会社が後援したリオの現代美術館でのステージかもしれません。
 そこでマリーザが披露したのは、牛の角で作ったホルンの伴奏でワンノート、つまりたった一つの音にサンスクリットの歌詞をのせた歌だったのだそうです。このステージの批評は「東洋音楽と西洋音楽、そしてポピュラー性と知性を併せ持ったフュージョン」ということだったそうですが、いったいどんな歌だったのか想像しにくいものがあります。でも今現在までもマリーザの中から醸される独特なエキゾチズムと神秘性は既にその頃から内在していたということでしょうね。
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 リオのポン・ジ・アスーカルの麓のウルカ地区、ヨットハーバーに隣接した位置にあったモンテ・ファミリーの家のサロンは、前述した通りマリーザの音楽活動用にいつも開放されており、ここで彼女はイタリアへ行く前と同様に帰国後も音楽仲間と気軽にライブを開いて、家族や訪れる人からリクエストしてもらう曲を歌ったりしていたそうです。
 その時の彼女の歌声を聞いた人が「Toca a da sereia!」とコメントしたそうですが、Sereiaとは人魚、または魅惑の美声の持ち主という意味で、海の風を感じながら聞くマリーザの声はまさに聞く人の耳に付いて離れないほど強烈なものがあったということですね。
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 イタリアで感じたクラシック音楽メソッドの単一性と奥行きの足りなさから一気に開放されたマリーザは、Mavin Gaye、Kurt WeilなどからTim Maia、サンバの大御所Pisinguinha、そしてイタリアでもライブハウスで歌っていたMPBを司る各ミュージシャン達の作品に至るまで、とにかく多元的な種類の曲を次から次へと聴き、そしてそれを更に自分の声で表現してウルカのサロンでお披露目していたのでした。
 イタリア帰国後にジャズマニアで開催した初めてのライブの時もそうでしたが、この時期にマリーザが歌っていた曲はどれも彼女自身が常に聴きこんでいたものばかりで、いわばマリーザがセンセーショナルを巻き起こす次のステップへ踏み込む前の準備段階的なもの、という見方をされているようです。
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 ウルカの家で歌いながら音楽への探究心を際限なく深めていくマリーザのステージは徐々にその範囲を広めていきます。リオ、サンパウロ、そしてベロオリゾンチ。
「アレンジメントやハーモニーなどの研究を熱心にしていました。そしてその頃初めて自分の曲も作りました。どうやっていいのかよくわからなかったけど、職人気質的な気持ちでゆっくりとやってみる必要を感じていたのです」
 イタリアからブラジルに帰国してからの一年間をマリーザはそのようにして過ごしていたのでした。


By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-06-20 05:43

マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その③
イタリアへ、そしてブラジルへ

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 1986年、19歳の時にマリーザは本格的に声楽を勉強する為に、いよいよイタリアのローマへ渡りますが、ブラジルを長期の予定で離れたその時から、マリーザの中で自分の国である「ブラジル」への思いや興味が客観的に湧き出してきたのでした。
「ブラジルの音楽ばっかりきいていました」とマリーザはその時のことを思い出しています。
 当時ブラジルではブラジリアン・ロックの全盛期ですが、オペラを聴いたり声楽を学んでいたマリーザはライブハウスなどで活動しているミュージシャンの友人たちに誘われて、彼らと一緒にそういった場で、ミルトン、カエターノ、ジルベルト・ジル、ジャヴァンなどといったMPBを司るアーティスト達の歌を歌うようになったのでした。

 そんな様子で良質のブラジル音楽とブラジルにいた頃以上に向き合って過ごしているうちに、マリーザの胸の中は母国ブラジルへの郷愁でいっぱいになってきてしまいます。そして10ヵ月後に帰国を決意。クラシック音楽のメソードを習得するという必然性が彼女の中で感じられなくなってきたことも原因でした。
「歌を歌うのも、クラシックのような単一的な表現方法では満たされないということに気づいたんです。マイクのない時代のアナクロなテクニックを駆使した、そのやり方にも耐えて学びましたが、やはり私はもっとコンテンポラリーな表現をしたかったんです」

 ローマに滞在中、マリーザは同じくローマに滞在中のブラジルのジャーナリスト、そして作曲家であり、作家でもあるネルソン・モッタをたずねます。
 ネルソンは実はマリーザのお母様シルヴィアの友達でもあり、その後のマリーザのサクセスの鍵を握ることとなる人物なのですが、自分を訪ねて来た同郷の若くて探究心旺盛な19歳の女の子マリーザに、彼はちょっとしたチャンスを与えてあげたのでした。
「彼の知り合いといったらジャーナリスト、ミュージシャン達など、本当に面白い人達ばかりでした」と、マリーザはネルソンを振り返ります。
 そしてその出会いから数ヶ月後、素晴らしい人脈を持っていたネルソンの計らいと、そして本当に偶然に偶然が重なるようなかたちで、思いがけないマリーザの小さな初ライブがヴェネチアの小さなバーで行われることになったのでした。

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 さて、10ヶ月ぶりにイタリアからブラジルへ帰国したマリーザは彼女のお姉さんであるリヴィアのプロデュースと、妹のレティシアの恋人で若き映画監督兼プロデューサーでもあるルラ・バルキ・デ・オランダ氏(彼はマリーザのMaisのビデオのディレクターでもあります)の参加で、初ブラジルライブをリオのジャズマニアで開きます。
 そしてその客席に座って只者ではない才能を秘めたマリーザのブラジルのおける初ライブを見つめていたネルソン・モッタ。そこから彼とマリーザの一層深い交友関係がスタートします。
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By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-06-09 04:13 | Biografia de Marisa

マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その②

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実は、イタリアへ渡る前のマリーザには、歌を歌う事意外に熱中していたことがあります。

彼女のお母様であるSilviaさんはお針子の仕事をされていたそうですが、マリーザも早いうちから布を縫ったりすることに興味が沸いて、お母様に針の扱い方を学び、いろんなものを作っていたのだそうです。
そう言えば去年の暮れにブラジルのトーク番組に出た彼女は、司会者に促されて彼女の得意とする編み物をカメラの前で披露してましたが、彼女は「手を動かしていたいの」というような事を言ってました。何かをしながら、同時進行でべつのことをするのが好きなんだと。
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「でも本を読むと全ての意識がそっちに言っちゃうからダメ。なにかこう、喋ってても手を動かせること」(そういえばマリーザって喋ってるときも、腕をぶんぶん動かしてます・・・イタリア仕込みなのかなあ、と思って見てましたが)
というわけで、ステージで楽器を持つようになった理由も(これは別のインタビューの答えですが)歌いながら手では何かをしていたいから、というようなことを言ってました。なるほどね・・・本当につくづく五感と身体的機能を全て使って何かを生産したいという、マリーザは徹底的な物作り人間なんですね。

で、話を戻しますが、イタリアへ渡る前にマリーザが熱心にやっていたことは何かといいますと、それはアクセサリー作りなのでした。
しかも作るだけじゃない、なんと大量生産してそれを200個300個単位で小売店に卸していたんだそうです!!凄いですね・・・

18才位だったはずのマリーザはJeff Svobodaという人と組んで、リオのLapa地区に借りた事務所にメーカーの事務所を置き、そこのオーナーを勤めていたのだそうですが、どんなアクセサリー(アクセサリーだけではなく、バックやベルト、日記帳、革製品なども)を作っていたのかというとこれがまたマリーザらしいというか・・・
素材は全てその辺にあるもの、例えば電気のヒューズ(?)だとか、古着のボタン、ぬいぐるみのプラスチックの目玉など・・・
マリーザ曰く「値段は恐ろしく安価で、安価過ぎて大量に作ってたわりには大した儲けもなかった」だそうですが、1986年の経済政策、クルサード・デノミでまで事業は展開されてたようです。
メーカーの名前は一度も存在したことがなかったそうですが(!?)、事業を終えてマリーザはいよいよ本格的歌手生活に入っていくわけです。

で、そのときに作ったアクセサリー、実は今も使ってるんだそうです。
見てみたいのですが、残念ながらそのブツの資料は見つかりませんでした・・・
でも彼女のワードローブを見ていると、なんとなくその嗜好が伺えますけどもね。古着がお好きなようだし。
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そして1986年、いよいよイタリアへ声楽の勉強の為に出発!という展開になるわけです。

By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-06-03 02:29 | Biografia de Marisa

マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

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Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その①
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Marisa Monte、本名はMarisa de Azevedo Monteと言います。
マリーザは1967年7月1日、リオ・ディ・ジャネイロのボタフォゴに生まれました。お父さんのCarlos Monte氏は1970年代の初頭、リオのサンバチーム、Portelaの理事をしていた人です。お母様の名前はSylvia。その他マリーザにはLívia とLetíciaという姉妹がいて、彼女たちも何がしかのかたちでマリーザの音楽活動に携わってもいます。

マリーザの音楽的キャリアの始まりですが、マリーザは9歳のお誕生日にはお母様からドラムスセットをプレゼントしてもらったり、ピアノを学んだりしながら恵まれた環境で育ち、14歳から正式に声楽を学び始めています。
当時は“ロッキー・ホラー・ショウ”に出演したり、友達とポップス系音楽のライブをしてデモ録音したり、
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Laranja da Terraのバックコーラスをしたり、Urcaの自宅のサロンを開放して、そこで小規模のライブなども開いていました。
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            (ロッキー・ホラーショウ出演中のマリーザ)

その頃マリーザはMaria CallasやBilly Holidayなどを好んで聞いていたようです。
同時期、国立音楽院への入学を予備校に通うなどして準備していたようです。
マリーザ曰く「呼吸法などの声楽のテクニックをクラシックな勉強を通じて習得することは必然でした」

リオのあちこちでマリーザが少しづつ歌うようになってきた16歳頃、ボサノバの巨匠の一人であり当時ポリグラムのアーティスティック・ディレクターをしていたホベルト・メネスカルからマリーザに彼女の初レコード録音の招きが掛かります。
しかしマリーザはそのとき既に声楽の勉強の為にイタリアへ行くことを決意していたので、いろいろ考えた結果にその誘いを断りました

By Mari Yamazaki
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# by marisamontejp | 2007-06-01 05:47 | Biografia de Marisa