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マリーザ・モンチ 基本情報 Informação geral

Biografía de Marisa 
マリーザのバイオグラフィー その④
帰国後のマリーザ

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 イタリアから具体的な将来への方向性を抱いて帰国したマリーザは、ネルソン・モッタという強力なバックアップと、リヴィアとれティシアの二人姉妹の協力も得ながらリオにおける様々な大きさのステージでのライヴ活動を起動させ始めたわけですが、そんな中でも特に変わったものといえば石油会社が後援したリオの現代美術館でのステージかもしれません。
 そこでマリーザが披露したのは、牛の角で作ったホルンの伴奏でワンノート、つまりたった一つの音にサンスクリットの歌詞をのせた歌だったのだそうです。このステージの批評は「東洋音楽と西洋音楽、そしてポピュラー性と知性を併せ持ったフュージョン」ということだったそうですが、いったいどんな歌だったのか想像しにくいものがあります。でも今現在までもマリーザの中から醸される独特なエキゾチズムと神秘性は既にその頃から内在していたということでしょうね。
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 リオのポン・ジ・アスーカルの麓のウルカ地区、ヨットハーバーに隣接した位置にあったモンテ・ファミリーの家のサロンは、前述した通りマリーザの音楽活動用にいつも開放されており、ここで彼女はイタリアへ行く前と同様に帰国後も音楽仲間と気軽にライブを開いて、家族や訪れる人からリクエストしてもらう曲を歌ったりしていたそうです。
 その時の彼女の歌声を聞いた人が「Toca a da sereia!」とコメントしたそうですが、Sereiaとは人魚、または魅惑の美声の持ち主という意味で、海の風を感じながら聞くマリーザの声はまさに聞く人の耳に付いて離れないほど強烈なものがあったということですね。
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 イタリアで感じたクラシック音楽メソッドの単一性と奥行きの足りなさから一気に開放されたマリーザは、Mavin Gaye、Kurt WeilなどからTim Maia、サンバの大御所Pisinguinha、そしてイタリアでもライブハウスで歌っていたMPBを司る各ミュージシャン達の作品に至るまで、とにかく多元的な種類の曲を次から次へと聴き、そしてそれを更に自分の声で表現してウルカのサロンでお披露目していたのでした。
 イタリア帰国後にジャズマニアで開催した初めてのライブの時もそうでしたが、この時期にマリーザが歌っていた曲はどれも彼女自身が常に聴きこんでいたものばかりで、いわばマリーザがセンセーショナルを巻き起こす次のステップへ踏み込む前の準備段階的なもの、という見方をされているようです。
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 ウルカの家で歌いながら音楽への探究心を際限なく深めていくマリーザのステージは徐々にその範囲を広めていきます。リオ、サンパウロ、そしてベロオリゾンチ。
「アレンジメントやハーモニーなどの研究を熱心にしていました。そしてその頃初めて自分の曲も作りました。どうやっていいのかよくわからなかったけど、職人気質的な気持ちでゆっくりとやってみる必要を感じていたのです」
 イタリアからブラジルに帰国してからの一年間をマリーザはそのようにして過ごしていたのでした。


By Mari Yamazaki
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by marisamontejp | 2007-06-20 05:43